芥川龍之介と古典文学との間には、述べるまでもなく、密接な関係がある。『道祖問答』・『地獄変』・『龍』といった作品は『宇治拾遺物語』、『袈裟と盛遠』は『源平盛衰記』を典拠としている。しかしながら、芥川の王朝物作品のほとんどは『今昔物語集』からその材を得ているのである。そこでまず、主に『今昔物語集』に取材したと思われる作品を一覧にしてみよう。
・『青年と死』(T3・9)
巻四「竜樹俗時作隠形薬語第二十四」
・『羅生門』(T4・11)
巻二十九「羅城門登上層盗人語第十八」
巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」
・『鼻』(T5・2)
巻二十八「池尾禅珍内供鼻語第二十」
・『芋粥』(T5・9)
巻二十六「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語第十七」
・『運』(T6・1)
巻十六「貧女仕清水観音植盗人夫語第三十三」
・『偸盗』(T7・4、7)
巻二十九「不被知人女盗人語第三」
巻二十九「筑後前司源忠理家入盗人語第十二」
・『往生絵巻』(T10・4)
巻十九「讃岐国多度郡五位聞法即出家語第十四」
・『好色』(T10・10)
巻三十「平定文仮借本院侍従語第一」
・『藪の中』(T11・1)
巻二十九「具妻行丹波国男於大江山被縛語第二十三」
・『六の宮の姫宮』(T11・8)
巻十九「六宮姫君夫出家語第五」
巻十五「造悪業人寂後唱念仏往生語第四十七」
以上がそれであるが、他の作品も数えると約11年間も長きに渡り『今昔物語集』に材を得ていたことになる。さらに、そのほとんどは芥川の歴史小説に強く反映・影響を及ぼしている。芥川の歴史小説の総数からみると、その約五分の一が『今昔物語集』から直接材料を得ていることになる。
それでは、芥川は『今昔物語集』のどのような点に興味を引かれたのであろうか。本朝の部の最も面白いことは、恐らくは誰も異存はあるまい。その又本朝の部にしても最も僕などに興味のあるのは「世俗」並びに「悪行」の部である。―即ち『今昔物語』中の最も三面記事に近い部分である。しかし、― (「今昔物語鑑賞」『芥川龍之介全集 八巻』)
この芥川の言から、彼が興味を引いた箇所は、三面記事―一般読者がそれほど興味を示さないような記事―に大きく興味を抱いたようである。またこの後に次のようなことを述べている。僕はやっと『今昔物語』の本来の面目を発見した。『今昔物語』の芸術的生命は生ま々々しさだけには終わっていない。それは紅毛人の言葉を借りれば、brutality(野性)の美しさである。或は優美とか華美とかには最も縁の遠い美しさである。(同上)
芥川が抱いていた『今昔物語集』に対する魅力はこの言葉に尽きるのであろう。その野性的美しさ、それは単なる野性的美しさではなく、写実性を追求したものに大きな魅力を感じていたようである。当時の人々の娑婆苦を、「『源氏物語』は最も優美に」そして「『大鏡』は最も簡古に」描いていたのに対して、「『今昔物語』は最も野蛮に」描いていたと指摘している。その「野性」「野蛮」というものが芥川にとって最も魅力を感じるところであったのである。古典に影響を受けた作家、たとえば谷崎潤一郎にしても室生犀星にしても、彼らが王朝の華やかな美を追い求めたのに対して、芥川は「優美とか華美とかには最も縁の遠い美しさ」というところに彼の特異な主眼があったと言えよう。特に室生犀星に関して言えば、「大分前に支那の童話とか、今昔物語やらをもとにして書いた時がありましたが、あれは作家の力の衰へた時ですね。」(「古典について」)と述べているほどであるので、芥川とは全く正反対に位置する。このような眼を持つ芥川の作品に対し、『羅生門』『鼻』『芋粥』『藪の中』などは一応の成功であろうが、『偸盗』『往生絵巻』は失敗であるという意見も一部にはある。しかしながら、芥川の評価は、個々の作品についてというよりは、先にも述べたが彼の特異な主眼にこそ向けられるべきものであると私は思う。芥川は先の論文の最後で次のようなことを述べている。それを最後に引用したい。『今昔物語』は前にも書いたやうに野性の美しさに充ち満ちてゐる。其又美しさに輝いた世界は宮廷の中にばかりある訳ではない。従って又此世界に出没する人物は一天萬乗の君から下は土民だの盗人だの乞食だのに及んでゐる。いや、必しもそればかりではない。観世音菩薩や大天狗や妖怪変化にも及んでゐる。若し、又紅毛人の言葉を借りるとすれば、之こそ王朝時代のHuman Comedy(人間喜劇)であらう。(同上)