戸倉三山とくらさんざん

141 2006/12/23(土、祝) 臼杵山 842m → 市道山 795m → 刈寄山 687




奥多摩に盆掘川という名の川がある。北に向かって流れるその川を、ぐるりと囲む山々がある。左周りに、臼杵(うすき)山、市道(いちみち)山、刈寄(かりよせ)山。これを戸倉三山という。いずれも1,000mに満たないが、縦走するには体力勝負の7時間30分、しかもアップダウンが激しく路程が長いから、三山縦走はするなという。そこで臼杵山と市道山だけを登るのが当初の計画。それが途中で心変わり。三山を踏破したものの、痛む膝のご機嫌をとりながら下山した一日だった。


冬至の翌日、桧原街道を走る西東京バス。荷田子で下車したのは僕ひとり。臼杵山と記された小さな道標がある。登山口は猪除けの防護柵の扉を開ける。注意書き、<ポールのオレンジ色のネット部分を持って開閉してください。グリーンのネットに電流が流れています。この部分は危険ですので触らないでください> 感電して、猪鍋にされちゃあかなわねえ。吐く息は白く、霜柱を踏む快晴の朝。振り向けば山陰の荷田子集落は暗く、後方の山並みは朝日を浴びて輝いて見える。


一瞬、足を踏み入れるのはためらうような暗い桧の林。直登からジグザグに上ると身体が温まってくる。20分の上りで荷田子峠。右へグミ尾根を上る。桧林から杉林へ。尾根道から北斜面の巻き道を歩くようになると、懐かしの馬頭刈(まずかり)尾根が見える。静かな山。厚く積った落葉を踏みしめる音だけの世界。尾根道へ戻ると、突然騒音が静寂を破る。左下を垣間見ると、盆堀川の向こうに採石場がある。切り崩された山。這い回るブルドーザー。元に戻ることのない自然破壊。


臼杵神社 市道山山頂


杉林の中で石の祠に突き当たる。傍らには戸倉山茱萸御前と彫られた石塔がある。グミという名の女神を祀ってあるそうな。自然林に入るとうるさい藪。木漏れ日の植林帯。落葉したコナラの林。展望のない尾根道が続く。幾つもの小峰を上り、また下る。元郷からの尾根道が合流する。臼杵山の手前に5分で臼杵神社を示す道標。養蚕の神、臼杵権現を祀る社殿は子供の神輿の大きさ。石祠と赤い幔幕の前に一対の狛犬。猫だと言われているが、どう見ても山犬に見える。


社殿の右側は唯一開けて、三頭山から派生する笹尾根と富士山が眺望できる。白い空をバックに雪化粧の富士山。肉眼ではっきり識別できても、コンパクトデジカメでは写るまい。ほどなく臼杵山。混交林で囲まれた展望のない山頂。山頂標識と二等三角点。小憩もそこそこに市道山へ。奥多摩の山にして奥多摩の山と異なるは、激しい上り下りと落葉に隠れた浮石。途中の標識に注意書きがある。<尾根道を歩いてください。林業用の小道は途中で消えることがあります>


峰見通り 刈寄山山頂


小さなコブを上り下りしながら高萱尾根をぐんぐん降る。200m下りて同じ高さだけを上り返す。桧林を下ってアセビの林。巨松の小峰や桧が整然と並ぶコブを越える。笹平からのヨメトリ尾根を合わせ、コナラの急坂を上りきると市道山。その昔、市の開かれる五日市への山越えの道、それが山名の由来であろう。狭い山頂には三等三角点や山名標識。南側は枝葉が薄れて高尾の山々が見える。小さな道標は、沢登りで人気の千ヶ沢を経て盆掘川への降下点を指している。


今日、山で初めて出会った人達が休んでいる。一眼レフを提げた四十男と、僕よりも高齢の三人組。四十男は臼杵山へ、三人組は軽快にガレ場を駆け下りる。誰も居なくなった山頂で昼食を摂りながら、これからのコースを考える。よし、予定変更しよう。吊尾根から陣馬高原下への下山を止めて、刈寄山から今熊へ降りることにする。三人組を追って、こわごわ急坂を下る。途中で幾人もの人達と行き会う。口も体力も達者な女性二人、お疲れ夫婦、中年ひとり旅、山岳マラソン男。


東へ向かって峰見通りを進む。今熊までたったの3分の1の路程を歩いたにすぎない。鳥切場(とっきりば)まで、小峰を10ほど越える。ガレた急坂、崩れる坂、濡れて滑る坂、膝にひびく岩の坂。足が笑い右膝が泣く。刈寄山は東屋とベンチがある。市街地を鳥瞰する山頂。平坦な自然林に入るとほっとする。また騒がしくなる。立て札<危険、この場所の下山禁止。発破あり> ここにも採石場。今熊神社奥ノ院と今熊山をやり過ごして岩の坂道を降る。ゴールはまだかいな。


快晴 日帰り 単独行 歩行距離=148km 歩行時間=6時間20

JR、武蔵五日市駅758⇒(西東京バス)⇒813元郷
荷田子815955臼杵山10051115市道山11351305鳥切場→1325入山峠→1345刈寄山13551445今熊神社奥ノ院下14501520今熊
陣馬高原下1546⇒(西東京バス)⇒1627JR、八王子駅