本社ヶ丸2ほんじゃがまる

123 2006/2/5(日) 本社ヶ丸 1,631 山梨100名山




笹子駅前で、観光案内板を見たのがそもそもの間違いだった。駅から角研山に上るルートがある。たしか山地図には難路を示す点線だし、ガイドブックには廃道と記された山道の筈。当初予定は、北から南へ三ツ峠山まで縦走して、富士急線の三ツ峠駅までの「駅から駅まで登山」をするつもりだった。それを、角研山から本社ヶ丸への「周回コース」へとドタ変するとロクなことは起こらない。三重苦。道に迷ってザレ場を攀じ登り、ヤブを漕ぎ、凍結した山道を生還した一日だった。


玄関を出て驚いた。一面の銀世界。見上げると星空、寒い朝。電車で10分の横浜には降雪の痕跡もない。橋本で夜明けを迎え、そして僕一人だけの乗降客の笹子。さて、中央線沿いに裏側の舗装道路をしばらく進むと、探していた大月市の道標が見つかる。本社ヶ丸への登り口。桧林の山道を辿る。束ねた丸木に板片を打ち付けたハシゴ橋がある。迷わず沢を渡る。あとで考えると、青苔の生えた丸木二本の細い橋が登山道にある訳はない。悪夢への架け橋を渡ってしまった。


大菩薩前衛の山々


桧林が途切れるとまばらな潅木林。厚く積もった落葉に沢沿いのトレイルは薄れる。沢は二股に分かれる。右は岩を縫う急流。左側の涸沢を遡る。源頭はザレ場の斜面に消えている。あの稜線まで登れば道は拓けるだろうと無謀にも上る。砂利と小石と落葉。傾斜がだんだんきつくなる。ストックが深く潜って役立たない。靴底のエッジも利かず、靴先を蹴りこむと崩れる地面。見下ろすと、ザレ場の上り始めは遥か下。ずるずると滑る。上ることも降りることもできない。茫然自失。


右に動いて立ち木に捉まるとなんとか上れる。あと20メートル上れば稜線。ところが、行く手を阻むヤブ。濡れていたり、葉があればとても通過できない濃い茂み。強引に掻き分けて、上ったぞ稜線。小1時間の奮闘で精魂は尽き果てる。枝尾根上の道なき道を進む。桧の小峰を越え、上り返すとしっかりしたトレースのある尾根筋に出たでないか。前方にひときわ高い峰。中腹には林道が走り、その先には東電の変電所が見える。もしやこれが角研山への道。とたんに元気、足早になる。


三ツ峠山の右肩から覗く富士山 本社ヶ丸山頂


背よりも高くのびたカヤトの原から鉄塔下を抜けて林道に出る。あった、大月市の道標。今来た稜線は笹子駅を指している。そうか、沢へ下りずに右の枝尾根に登山道があったのか。左方20メートル先に道標がある。本社ヶ丸・鶴ヶ鳥屋山への登り口。ブナ林の斜面は残雪の階段。後ろには大菩薩の山並みが拡がる。尾根筋に吹きつける冷たい強風。岩稜と荒れた急斜面を登りつめて角研山。私製の山頂標識と道標。すぐそこに鶴ヶ鳥屋山。腰を下ろしてひと休み。昼食。


この先は以前に歩いた尾根。ブナ林から大鉄塔の建つ笹原に出る。都留市の道標がある。本社ヶ丸へ70分、宝の山ふれあいの里へ120分。かつて宝鉱山の地。鉱石をこの稜線を越えて、笹子駅までケーブルで運んだという。笹原の下から初老のハンターが上がって来た。今日、出会った最初の人。10人の宝猟友会員と組んで、獲物を追い込んでいる。獲物は猪。ここ3ヶ月で20頭を仕留めた。銃砲所持と狩猟免許を携帯。赤色系の帽子と上着を義務付けられている」


本社ヶ丸山頂から望む御坂の山々、後方に南アルプス


残雪の主尾根。樹間から見え隠れする山々。左に三ツ峠山と富士。右は冠雪の大菩薩に奥秩父。樹相がブナからカラマツに変わると、いつしか凍結した岩場のヤセ尾根が続く。最後の岩稜を攀じ登る。本社ヶ丸。誰も居ない山頂広場には、三角点と山頂標識。山梨百名山と秀麗富嶽十二景の標柱。さすが展望の山。白く光る嶺々が遠望できる。富士山から御坂の山。甲府の向こうに連なる南アルプスの壁。八ヶ岳、奥秩父、大菩薩。肌を刺す烈風。長居はできない。


山頂から清八峠までは気を抜けない下り。なにしろ結氷した岩稜。だからアイゼンは履けない。途中で喘ぎながら登ってきた30才くらいの人と行き交う。峠からの下山路は凍結している、と言う。清八峠から登山口までは北斜面の道、ジグザグの道、カラマツ林の山道。それが全面結氷しているのに、アイゼンの爪あとがない。装着の煩わしさにアイゼンなしで降りて行くと天罰が下る。滑って転んで、また転ぶ。やっと登山口。風はなく、背に冬の日差しを浴びて駅に急ぐ。


快晴 日帰り 単独行 歩行距離=12.5km 歩行時間=8時間5分

JR笹子駅7451050角研山11001225本社ヶ丸1235→清八峠1320→追分15451610JR笹子駅