竜ヶ岳りゅうがたけ

#105 2005/4/17(日) 竜ヶ岳 1,485m 山梨100名山




春山の遭難が相次いで報道された。乳頭山に丹沢。ドキッ。前者は今秋、秋田駒から乳頭山への縦走を予定している山、後者はホームグランド。尊仏山荘主人から聞いた話を思い出す。「遭難者は、ロッククライマーや沢登りの人達。山地図の実線ならば、日本のどの山でも安全ですよ」 さて、富士山をぐるりと取り巻く山群のうち、天子山塊の竜ヶ岳から見る富士山が、いちばん大きく見えるという。また、竜ヶ岳は、富士山山頂から昇る初日の出がダイヤモンド富士。そんな富士山を見たさに、本栖湖から逃げ出した竜は、この山を駆け上ったに違いない。


湖畔に案内板がある。「龍神様の由来 昔、本栖湖はセの海と呼ばれていた。ある朝、湖から突如龍が現れ、<近いうちに富士山が噴火する>と告げ小富士(現、龍ヶ岳)の山頂に登っていった。その日から地鳴りや震動が続き、村人達は山を越え、富里村(現、下部町)に避難した。果たして延暦19年(西暦800年)大噴火した。セの海は三つの湖(本栖湖、精進湖、西湖)に分断され、家も畑も溶岩に埋まっていた。だが村人達はここに住みつく事を決意し、村の名も「本栖」と改め、災難から救ってくれた龍を、災難からの守り神として、龍神様を祀り信仰している」


本栖湖と竜ヶ岳


人も桜も戸惑う春の気まぐれ天気。強風と降り続いた花ちらしの雨。見るも無残に散った桜。花冷え一転、春風に誘われて山に登る。新宿発、満員の高速バスも、桜が満開の富士急ハイランドで大方降りて、終点の本栖湖まで乗り続けたのはボクひとり。湖畔を散策する人達、近づいてはまた遠ざかる水上スキーの騒音。光る湖面の南岸に聳える丸い山がある。あれが竜ヶ岳。アプローチが分からぬまま、山に向かって赤松林の駐車場を通り抜ける。100台は駐車できる広い登山用駐車場。その奥に、竜ヶ岳への道標がひとつ見つかると、もう迷うことはない。


数年前は経験者しか登れなかった竜ヶ岳も、ゆるやかなジグザグ道が丁寧につけられて、今では初級者向けの山。芽吹き未だしの自然林から桧とヒバの林を上る。足にやさしい土の坂。高度を稼ぐにつれ、樹間から景色が見えてくる。右に本栖湖、パノラマ台、御坂の山。左手には青木ヶ原の樹海、長い裾野の富士山。ダケカンバの高木林が突然きれて傾斜がゆるむと、熊笹の小ピーク。オバサンひとりが見張りして、3人のオジサンが昼寝するところ。竜ヶ岳の南面は風が強いために、笹しか生育しないという。ここからは、はるか山頂まで笹の山道を登る。


青木ヶ原の向こうに富士山 竜ヶ岳山頂


マスクで顔を隠した美人が降りて来た。ふたつ目のピークには格子で囲われた3体の石仏と、あずまやの展望台がある。強い陽射し、吹上げる強い風に押されて上る九十九折れ。点在するウツギの低木や釣鐘状の花を付けたドウダンツツジ。やがて平坦になると、竜ヶ岳山頂。広い草地の山頂広場には、石の山頂標柱、木柱の山梨百名山標識、3つのテーブルベンチ。足立区から来たツアー客。前評判に違わぬ大展望の山。大きな富士山。尾根続きの雨ヶ岳と毛無山。白く光る南アルプス、八ヶ岳。春霞みに溶け込む御坂の山並。駿河湾も富士宮市街もぼんやりと。


食事中のひと組に別れを告げて下山開始。往路を10分ほど戻ると、本栖湖に下りる分岐点がある。案内書によると、この北斜面の道は急勾配につき下山するなという。何だか今日は歩き足りない。敢えてこの道を降りよう。歩いてみると、踏み固められたケモノ道や仕事道ではない。整備された山道。ブナ、ナラ、ヒメシャラの古木巨樹の林。鴬の囀り。真下に青い湖面を見ながら下りる落葉の道。癒しの道。途中にベンチもある。難なく降りきったところは鮮やかな新緑の本栖の森。湖畔周回道路を歩いて、予定より1時間も早くゴールイン。いささか消化不良の春。



快晴 日帰り 単独行 歩行距離=7.9km 歩行時間=2時間55分

京王高速バスターミナル840⇒(富士急バス)⇒1100本栖湖
本栖湖11051125ゲート、登山口→1150無名の小峰→1210石仏とあずまや12151255竜ヶ岳13101320本栖湖下降点→1400湖畔→1420本栖入口
本栖入口1455⇒(富士急静岡バス)⇒1600JR富士宮駅