中世文学の名歌名場面


『うたたね』 (作者 阿仏) 「鳴海・八橋・浜名」 (進藤重之)
※本文は『うたたね 全訳注』 次田香澄 (講談社学術文庫)より引用しました。



<本文>

 この国になりては大きなる河いと多し。鳴海の浦の潮干潟、音に聞きけるよりもおもしろく、浜千鳥むらむらに飛びわたりて、あまのし わざに年ふりにける塩竃どもの、思ひ思ひにゆがみ立てたる姿ども、見なれず珍しき心地するにも、思ふことなくて都の友にうち具したる 身ならましかばと、人しれぬ心の中のみさまざま苦しくて、

  これやさはいかに鳴海の浦なれば思ふかたには遠ざかるらむ

 三河の国八橋といふ所を見れば、これも昔にはあらずなりぬるにや、橋もただ一つぞ見ゆる。かきつばた多かる所と聞きしかども、あた りの草もみな枯れたるころなればにや、それかと見ゆる草木もなし。業平の朝臣の、「はるばる来ぬる」と嘆きけんも思ひ出でらるれど、 「妻しあれば」にや、さればさらんと少しをかしくなりぬ。都出でてはるかになりぬれば、かの国の中にもなりぬ。浜名の浦ぞおもしろき 所なりける。波荒き潮の海路、のどかなる湖の落ちゐたるけぢめに、はるばると生ひつづきたる松の木立など、絵にかかまほしくぞ見ゆる。




<現代語訳>

 この国になってからは大きな河がたくさんある。鳴海の浦の潮干潟はうわさに聞いたよりもおもしろい景色で、浜千鳥があちらこちらに 群をなして飛び渡り、漁師が塩焼きのなりわいのため造った、年数を経た塩竃が、いくつも思い思いの形でゆがみ立っている姿が、見なれ ず珍しい心地がするにつけても、物思いがなくて都の友だちと連れだってきた身であったならばと、ひとしれぬ心の中ばかりいろいろと苦 しく思われて、

(和歌)これがさては鳴海の浦なのか。いったいどうなってゆくわが身だから、思う都から遠ざかってこんな所まで来てしまったのであろ うか。

 三河の国八橋という所を見ると、これも昔とは変わってしまったのか、橋もただ一つ見えるだけである。かきつばたが多い所と聞いたが、 辺りの草もみな枯れているころだからか、それかと見える草木もない。昔、業平の朝臣が、ここで「はるばる来たことよ」と嘆いたことも 思い出されるが、業平には「都に恋しい妻があるから」だったか、それならそう思って嘆いただろうよと少しおかしくなった。都を出ては るかに来たので、かの遠江の国のうちになった。浜名の浦はおもしろい所であった。波の荒い潮の海面と静かな湖との落ち合う境目に、は るばると生えつづけている松の木立の風情など、絵に描きたいほどおもしろい。