『源氏物語』の中の大きな流れとして、「ゆかり」と「形代」というものがある。そこで、今回は「ゆ
かり」殊に「紫のゆかり」について考察してみたい。
「紫のゆかり」という言葉について三谷邦明氏は次のように述べている。「ゆかりは血縁関係にあるこ
とを意味し、いわば換喩関係にあることです。たとえば、藤壷のゆかりとして紫上が登場してくるのです
が、二人は叔母・姪の関係にあるのです。なお、桐壷更衣と藤壷とは血縁関係ではなく形代にすぎないの
ですが、桐壷更衣・藤壷・紫上のことを「紫のゆかり」といいます。桐や藤の花は紫ですし、紫という草
の花は白ですが根を染料にして紫色に染めるからです。(『入門 源氏物語』ちくま文庫)非常に明確な、
いわば「紫のゆかり」についての定義といえるだろう。しかし、氏は「紫のゆかり」という意を、単に血
縁もしくは類似という意で解釈しているようであるが、この語はそれのみにとどまるものであろうか。
「ゆかり」を限定する「紫」に意味はないのだろうか。
それを確認する意味で、まず本文をみることにする。なお、引用する本文については、『日本古典文学
全集』(小学館)を使用する。
亡せたまひにし御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕に伝はりぬるに、え見たてまつりつけ
ぬを、 后の宮の姫君こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になん。
これは、桐壷更衣の「ゆかり」としての藤壷の登場場面である。ここで分かることは、藤壷は血縁として
ではなく、容貌の類似として登場していることである。
次に、紫上の「ゆかり」としての登場場面であるが、
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみ
じううつくし。 ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしき
こゆる人に、いとよう似たて まつれるが、まもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
とある。ここは、紫上が藤壷の類似として登場する場面である。しかし、のちにこう述べられる。
むすめただ一人はべりし。亡せてこの十余年にやなりはべりぬらん。故大納言、内裏に奉てまつらむ
など、 かしこういつきはべりしを、その本意のごとくもものしはべらで、過ぎはべりにしかば、ただ
この尼君ひとりも てあつかひはべりしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ、忍びて語ら
ひつきたまへりけるを、もと の北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れもの
を思ひてなん、亡くなりはべりにし。
これは、「わらは病」にかかった光源氏が北山を訪問した際に、北山の僧都が明かした紫上の素性である
が、それによって紫上が単に藤壷に似ているだけでなく、驚くべきことにその姪であることが分かる。そ
こで紫上は、藤壷との血縁としての「ゆかり」ということになる。そしてこれが「紫のゆかり」であると
従来から解釈されてきた。しかし、この三人には共通性がある。この三人はだれもが物語中において女性
主人公的位置を占め、さらに正妻もしくは正妻相当の地位を占めているということである。
それではまず、桐壷更衣についてであるが、彼女は冒頭に、
いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、す
ぐれて 時めきたまふありけり。
とあるように、「あまた」いる中より桐壷帝にもっとも寵愛されていたことが分かる。さらにここは「長
恨歌」の
後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身
の引用も考えられ、更衣は正妻相当の地位にあったと思う。
また、藤壷については、物語中三代目の帝になる冷泉帝(実は光源氏との不義の子である)を産むこと
でも分かるように、歴とした正妻である。
そして、紫上についてであるが、ここは問題を多く含んでいる。それは光源氏の正妻は誰かという問題
である。おそらく多くの人は葵の上であると答え、また女三の宮であると答える人もいるであろう。だが、
葵の上との関係は、
女君は、すこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥ずかしと思ひたり。
とあるように、光源氏よりも年上(後の「紅葉賀」巻で四歳年上であることが分かる)であることなどが
原因で、二人の関係は不仲でありまた、葵の上が夕霧を出産した後、物の怪によって早死したことなどを
考えると、正妻と呼ぶにはあまりにも心もとないように思う。
また女三の宮の位置であるが、彼女は朱雀院の娘で光源氏に降嫁する。しかし、光源氏はもともとこの
結婚に対して消極的であった。それは彼の創造した六条院との関係もある。これについては三田村雅子氏
の『源氏物語ー物語空間を読む』を参照してもらいたい。とにかく、彼女が光源氏の正妻であることには、
非常に疑問が残る。それは「若菜上」巻に次のような記述がある。
わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うち
おどろき たまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に急
ぎ出でたまふ。
ここは、女三の宮との婚礼の最終日の場面であるが、ここで注目すべきなのは光源氏の帰る時刻である。
光源氏は紫上のことが気がかりで帰ってゆくのであるが、普通この状況において男は、一番鶏が鳴いてか
ら夜が明けぬ前に帰るのが礼儀である。またこの後、乳母たちが「闇はあやなし」と引歌を用いて光源氏
に対して不満をもらすことなどを考えると、彼は帰るには少し時間的に早すぎたのではないだろうか。も
しそうならば、正式な結婚が成立していないと言う事も可能ではないだろうか。さらにこの場面で、とて
も重要な時にいながらして紫上のことが気になり帰って行くということは、つまり彼が女三の宮よりも紫
上の方を重んじている証拠ではないか。これで、光源氏にとっての紫上の位置は明確になる。
これで、桐壷更衣・藤壷・紫上の位置関係、殊に「紫」で結ばれた「ゆかり」について説明できる。そ
こで、今一度物語り全体に目を向けてみると、「紫」という色はいっさい他ではみられない。第三部、宇
治十帖に至っても同様で、そのヒロイン的存在である大君は、父である八宮の遺言通り薫の求婚を頑なに
拒否したまま世を去る。そして浮舟の登場へと続くのであるが、彼女もまた二人の男性、薫と匂宮に愛さ
れることに苦しみ入水し、それが失敗すると出家してしまう。正妻などという地位には程遠い。
このように「紫のゆかり」といった時の「紫」とは、女性の地位の高さ、つまり正妻を意味し、さらに
言うならば、この物語にもっとも影響を与えた漢詩文、「長恨歌」もここに意味があるのではないだろう
か。
『源氏物語』という作品は、ほんの一部分を切り抜いても読者に様々な深い読み、推測をさせる程の凄
味、恐ろしさがあり、故に魅力を持ち、現在でも多くの人々に愛されるのだろうと思う。