『百人一首』とは、その名の通り百人の歌人の和歌を一首ずつ選んで百首にまとめたものであるが、『百人一首』という名前を持つものは、『後撰百人一首』や『源氏百人一首』など数多く存在する。しかしながら、現在『百人一首』と言えば『小倉百人一首』を指すことが常識となっているが、それは撰者である藤原定家の名声が大きかったものと思われる。
この『小倉百人一首』のはじめの頃の呼び名は、定家の別荘である、京都奥嵯峨にある小倉山の山荘の障子(ふすま)の色紙形に書かれていたので、「小倉山荘色紙形和歌」「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」などと呼ばれていた。そして現在の『小倉百人一首』に定着したのである。
『小倉百人一首』の収録されている和歌は、奈良・平安・鎌倉の三期にわたる時代の百人の歌人の和歌で、『古今和歌集』から『続後撰和歌集』にいたる勅撰集から選ばれている。
・『古今和歌集』………24首
・『後撰和歌集』………7首
・『拾遺和歌集』………11首
・『後拾遺和歌集』……14首
・『金葉和歌集』………5首
・『詞花和歌集』………5首
・『千載和歌集』………14首
・『新古今和歌集』……14首
・『新勅撰和歌集』……4首
・『続後撰和歌集』……2首
また、百首の和歌の傾向については、もちろん一括りに述べることはできないが、定家の歌に対する好み・信念が強く表立っていると思われる。つまり、「有心美」と呼ばれる余情妖艶な歌風である。心のこもった歌、真情のある歌が多く選ばている。