中古文学の名歌名場面


『紫式部日記』 「清少納言批評」 (進藤重之)
※本文は『日本古典文学全集』 (小学館)より引用しました。



『紫式部日記』 「清少納言批評」

<本文>

 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、 よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、 行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をか しきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになり ぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。



<現代語訳>

 清少納言は実に得意顔をして偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書きちらしております 程度も、よく見ればまだひどくたらない点がたくさんあります。このように人より特別に勝れようと思い、 またそうふるまいたがる人は、きっと後には見劣りがし、ゆくゆくは悪くばかりなってゆくものですから、 いつも風流ぶっていてそれが身についてしまった人は、まったく寂しくつまらないときでも、しみじみと感 動しているようにふるまい、興あることも見逃さないようにしているうちに、しぜんとよくない浮薄な態度 にもなるのでしょう。そういう浮薄なあたちになってしまった人の行末が、どうしてよいことがありましょ う。