中古文学の名歌名場面


『源氏物語』 「明石」(進藤重之)
※引用は『源氏物語』 玉上琢彌 (角川文庫)
 また、括弧内の片仮名はこちらでつけました。



『源氏物語』 「明石」

<本文>

 やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も見ゆるに、この御座所のいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、寝殿に返し移し奉らむとするに、焼け残りたる方もうとましげに、そこらの人の踏みとどろかし惑へるに、みすなどもみな吹き散らしてけり。「夜を明かしてこそは」とたどりあへるに、君は御念誦し給ひて、思しめぐらすに、いと心あわただし。月さし出でて、潮の近く満ち来ける跡もあらはに、名残なほ寄せかへる浪荒きを、柴の戸押しあけてながめおはします。(中略)
 ひねもすにいりもみつるかみの騒ぎに、さこそいへ、いたう困じ給ひにければ、心にもあらずうちまどろみ給ふ。かたじけなき御座所なれば、ただ寄り居給へるに、故院ただおはしましし様ながら、立ち給ひて、「などかくあやしき所にはものするぞ」とて、御手を取りて引き立て給ふ。「住吉の神の導き給ふままに、はや舟出してこの浦を去りね」と宣はす。いとうれしくて、「かしこき御影に別れ奉りにしこなた、さまぐ悲しきことのみ多く侍れば、今はこの渚に身をや捨て侍りなまし」と聞え給えば、「いとあるまじきこと。これはたゞいさゝかなるものの報いなり。われは位にありし時あやまつることなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふる程いとまなくて、この世を顧みざりつれど、いみじき憂へに沈むを見るに堪え難くて、海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上りぬる」とて立ち去り給ひぬ。  あかず悲しくて、「御供に参りなむ」と泣き入り給ひて、見上げ給へれば、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢のこゝちもせず、御けはひとまれるここちして、空の雲あはれにたなびけり。




<現代語訳>

 しだいに風もおさまり雨脚も衰えて、星もまたたき始めると、この御座所は余りおかしすぎてもったいなく、もとの寝殿にお移し申しあげようとしたが、焼け残った所も気味悪い感じで、大勢の者が踏み荒らし回った為に、御簾なども皆とんでしまっている。夜明けを待っての事にしようとうろうろしている中で、君は、念仏誦経をなさりながら、いろいろお考えになるが、何とも気分が落ち着かない。月が上がって、潮が近くまで押し上げた跡もありありと見え、今も嵐の名残の波が、荒々しく打ち寄せている有様を、柴の戸を押し上げるて、ながめていらっしゃる。(中略)
 一日じゅう物を煎るように揉むように激しかった雷の騒ぎに、さすが気強い君もひどくお弱りになったので、知らず知らずうとうとなさる。勿体ないほど粗末な御座所なので、ほんの物によりかかっていらっしゃるのだが、故院が御在世中そのままの姿でお立ちになって、「どうしてこんな見苦しい所にいるのか」とおっしゃって、君の手をとってお引き立てになる。「住吉の神のお導きのままに、はやく舟出してこの浦を立ち去れ」と仰せになる。ひどくうれしくて、「父上の尊いお姿にお別れ申してからは、あれこれ悲しい事ばかり多くございますので、今はもうこの海辺に命を捨てましょうかと存じます」と申し上げると、「決してそんなことをしてはならぬ。これはほんのちょっとした事の報いなのだ。自分は位にある時には、誤ちは何もしなかったが、知らず知らずの内に犯した罪があったので、その罪を償う間、暇がなくて、この世を顧る事ができなかったが、余りにもひどい難儀に苦しんでいるのを見ると、じっとしている事ができなくて、海に入り渚に上がり、たいそう疲れてしまったが、かようなついでに内裏に奏上したい事もある故、急いで上京するのだ」とおっしゃって、立ち去っておしまいになった。
 君は名残惜しく悲しくて、「お供をさせて下さいませ」と泣き入りなgら見上げなさると、人影はなくて、月の顔だけがきらきらと輝いて、夢とも思えず、まだそこらにいらっしゃるような気持ちがして、空の雲がもの哀れにたな引いている。