中古文学の名歌名場面


『源氏物語』 「紅葉賀」 (進藤重之)
※本文は『日本古典文学全集』 (小学館)より引用しました。



『源氏物語』 「紅葉賀」

<本文>

 頭中将は、この君の、いたうまめだち過ぐして、常にもどきたまふがねたきを、つれなくてうちうち忍び たまふ方々多かめるを、いかで見あらはさむとのみ思ひわたるに、これを見つけたる心地いとうれし。かかる をりに、すこしおどしきこえて、御心まどはして、「懲りぬや」と言はむと思ひて、たゆめきこゆ。
 風冷やかにうち吹きて、やや更けゆくほどに、すこしまどろむにやと見ゆる気色なれば、やをら入りくるに、 君はとけてしも寝たまはぬ心なればふと聞きつけて、この中将とは思ひよらず、なほ忘れがたくすまる修理 大夫にこそあらめと思すに、おとなおとなしき人に、かく似げなきふるまひをして、見つけられんことは 恥づかしければ、「あな、わづらはし。出でなむよ。蜘蛛のふるまひはしかりつらむものを。心憂くすかし たまひけるよ」とて、直衣ばかりを取りて、屏風の背後に入りたまひぬ。中将、をかしきを念じて、引きた てたまへる屏風のもとに寄りて、ごほごほと畳に寄せて、おどろおどろしう騒がすに、内侍は、ねびたれど、 いたくよしばみなよびたる人の、さきざきもかやうにて心動かすをりをりありければ、ならひて、いみじく 心あわたたしきにも、この君をいかにしきこえぬるにかと、わびしさにふるふふるふ、つと控へたり。誰と 知られで出でなばやと思せど、しどけなき姿にて、冠などうちゆがめて走らむ後手思ふに、いとをこなるべし と思しやすらふ。中将、いかで我と知られきこえじと思ひて、ものも言はず、ただいみじう怒れる気色にも てなして、太刀を引き抜けば、女、「あが君、あが君」と向かひて手をするに、ほとほと笑ひぬべし。好ましう 若やぎてもてなしたるうはべこそさてもありけれ、五十七八の人の、うちとけてもの思ひ騒げるけはひ、えならぬ 二十の若人たちの御中にて物怖ぢしたるいとつきなし。かうあらぬさまにもてひがめて、恐ろしげなる気色 を見すれど、なかなかしるく見つけたまひて、我と知りてことさらにするなりけりとをこになりぬ。その人 なめりと見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたる腕をとらへていといたう抓みたまへれば、ねたきものから、 えたへで笑ひぬ。「まことはうつし心かとよ。戯れにくしや。いでこの直衣着む」とのたまへど、つととらへて さらにゆるしきこえず。「さらばもろともにこそ」とて、中将の帯をひき解きて脱がせたまへば、脱がじとすまふを、 とかくひこしろふほどに、綻びはほろほろを絶えぬ。中将、
「つつむめる名やもり出でん引きかはしかくほころぶる中の衣に
上にとり着ばしるからん」と言ふ。君、
かくれなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る
と言ひかはして、うちやみなきしどけな姿に引きなされて、みな出でたまひぬ。




<現代語訳>

 頭中将は、この源氏がたいそうまじめ過ぎるくらいにふるまって、いつも自分を非難なさるのがいまいましいので、 君には何くわぬ顔でこっそりお忍びになる所がたくさんあるようだから、どうにかしてそれを突き止めてやろう とばかり、その機会をすっとねらっていたところ、この一件を見つけだしたのはなんともうれしい気持ちで ある。こうした現場で少しおどし申して、あわてふためかせ、「懲りましたか」と言ってやろうと思って、 わざと油断させ申している。
 風が冷ややかに吹いて、しだいに夜もふけてゆくころ、少し寝入ったかと思われる様子なので、頭中将が そっと入ってくると、君はとても気を許してなどお寝みになれぬご気分であるから、ふと物音を聞きつけて、 それが中将とは思いもよらず、今もやはりこの典侍を忘れかねているという修理大夫にちがいないとお思い になるにつけても、そういった分別ある大人に、こんな不似合いなふるまいに及んだところを見つけられては きまりがわるいので、「やれやれ、面倒な。お暇するとしよう。あの人の来ることは、蜘蛛のふるまいがはっきり していたでしょうに。情けないことに、わたしをおだましになったのですね。」と言って、直衣だけを手に取って、 屏風の後ろにお入りになった。中将は、おかしいのをこらえて、君がお引き立てになった屏風のそばに近寄って いって、それをばたばたとたたみ寄せ、大げさに音を立てるので、典侍は、年寄りながらも、たいそう風流気 のある色っぽい女で、これまでにもこうしたことではらはらさせられた折が何度かあったのだから、そうした 経験から、内心ひどくうろたえてはいるものの、この者が君をどんな目におあわせ申そうとするのかと、心細さに ぶるぶるふるえながら、しっかりと中将にとりすがっている。君は、ご自身を誰なのか気づかれぬようにして 逃げ出してしまいたいとお思いになるけれども、このしどけない格好で、冠などもゆがんだまま駆け出して いく後ろ姿を想像すると、まったく愚かしいかぎりというものだろうと、ためらっておいでになる。中将は、 どうぞして自分だということを君に気づかれ申すまいと思って、無言のままただおそろしく怒った体をよそおって、 太刀を引き抜くと、女は、「あが君、あが君」と、前にまわって手をっすり合わせるので、中将は、すんでの ところで吹き出してしまいそうになる。色気たっぷりの若づくりにふるまっている、その見かけはまあともかくとしても、 五十七、八の老女が、生地むき出しにあわてふためき大声を立てている様子、それも二十歳のえもいわれぬ若い貴公子 たちの間でおどおどしているのは、まったくおさまりがつかない格好である。中将はこうして別人のようにつくろって、 いかにも恐ろしい様子をしているけれども、君はかえって目ざとくお気づきになって、自分と知ってわざわざ こんないたずらをするのだなと、ばかばかしくなられた。頭中将なのだな、お分かりになると、あまりのおかしさに、 太刀を引き抜いている中将の腕をつかまえて、ぎゅうっと強くおつねりになったので、ついに見破られたのが いまいましいけれども、中将はこらえきれずに笑い出してしまった。「まじめな話、これは正気の沙汰ですか。 うっかり冗談事もできはしない。さて、この直衣を着るとしよう」とおっしゃるけれども、中将がその直衣を しっかりとつかんで、どうしてもお放し申さない。「それなら、あなたもお付き合いだ」と言って、君が中将の 帯を解いて脱がせようとなさるので、中将は脱がされまいともみ合って、あれこれ引っ張り合っているうちに、 直衣のほころびの部分からはらはらと切れてしまった。中将は、
包み隠そうとなさる浮名が漏れ出てしまうことでしょう。引っ張り合って、二人の仲を包んでいた中の衣が こんなにほころびてしまったのですから
これを上に着たら、さぞ人目に立ちましょうよ」と言う。君は、
薄い夏衣では何も隠しきれないものとよく知っていながら、その夏衣を着ているのはあさはかというもの。 あなたと典侍との仲は知られずにすまぬものかと承知していながら、こうしてやって来たあなたは薄情な人 だと思います
と言い交わして、お互いに羨むどころではない、しどけない姿にされて、おそろいでお帰りになった。