古注釈の歴史



 ここのコーナーは、『源氏物語』の注釈書の中でも特に明治時代以前までの、いわゆる古注釈書と 言われているものを、時代を追って辞書的に解説をしたコーナーです。『源氏物語』ほどの作品であるなら ば、その注釈書も膨大でありますが、ここではその中でも重要と思われるものを選んで解説をします。
 ところでここでなぜ古注釈について解説をするのかと言いますと、やはり現代に生きる我々が、 わりにすんなりと『源氏物語』という作品に親しめるのは、これらの注釈書を著した先達たちの力があった ことを良く理解しておかなければならないと考えたからです。そしてなによりも、今『源氏物語』を読む 際に、これらの注釈書を無視して、現在出版されている注釈書のみに頼りがちになっていると考えた からです。僕自身その一人で、今までほとんど古注釈に関しては無知であったと思います。これを 反省しつつ、さらに今以上の知識を求めて古注釈の歴史を追ってみようと考えています。おそらく今の僕では それほど深くは出来ないと思いますが、出来る範囲でやってみようと思っています。



平安時代 鎌倉時代
南北・室町時代 江戸時代





平安時代


『源氏物語釈』

[著者]
世尊寺伊行
[成立]
平安時代末
[内容]
 この書は、現代行われている注釈らしきものはほとんどない。主に、 和歌や漢詩、仏典・故事の注釈が中心である。しかし、定家著『奥入』の基礎となっていることから 注釈史上重要視されている。


鎌倉時代


『奥入』

[著者]
藤原定家
[成立]
1233年以降
[内容]
 内容自体は、前記の伊行の釈を根底としていて、それい自説を書き加えた程度のものである。そのため、故事・出典・引歌の注釈が中心になっている。『奥入』は、もともと定家が所持していた『源氏物語』の本文の末尾に書き付けられていた注が、後に別冊としてまとめられたものである。またこの書に関して山岸徳平氏は「注釈書としての価値も低い物である事が知られる。只、後の注釈書の 源流をなした点に、寧ろ注釈書としてよりも、より以上の価値を見出すべきであらう。」(『源氏物語研究』有精堂 149頁)と述べている。


『水原抄』

[著者]
源光行・源親行
[成立]
1244年以前
[内容]
 現在では散佚してしまったが、推測すると、本文の校異や読み方、語句・文章の解釈、故実・故事・出典等の考証、その他『源氏物語』研究に関する古人の逸話、巻名・人物等の吟味等を記したものらしいが、はっきりしたことは分からない。また親行らは『水原抄』だけでは満足せず、その後も研究を続け、『水原抄』中の最も秘たる部分を抄録して諸家の説を加えた。これが『原中最秘抄』(現存本1364年)である。


『紫明抄』

[著者]
素寂
[成立]
1288年頃
[内容]
素寂は家元が河内家であるために河内学派を継承するものであるが、その中でも独自の方向を示している。具体的には紫式部の系図をあげた後、注釈に入っているが、先に述べたとおり、河内本の本文から注釈箇所を引き、語句の注、引歌・故事出典・準拠・本文の異同等を行っている。また引歌と故事出典に関しては、『源氏物語釈』や『奥入』をほとんど取り入れている。


『異本紫明抄』

[著者]
未詳
[成立]
未詳(『河海抄』の説を全く引用していないので、それ以前を思われる)
[内容]
とにかくこの注釈書には不明な点が多い。内容としては、『源氏物語』の諸注を集成したものである。注釈にあたっては、河内本系の本文から注釈箇所を引き、語句の注、引歌、故事出典、本文の異同や読み方にわたって注している。また引用の説には人名・書名をあげている。


南北・室町時代


『河海抄』

[著者]
四辻善成
[成立]
1362年頃
[内容]
内容は、『源氏物語』の著作の由来、物語の時代の準拠、物語の名称、作者の伝や旧跡、物語と歌道の関係等を料簡の部で述べている。また注解には二つの方向が見られる。第一は、『源氏物語』の用語の典拠を注することである。第二は準拠である。中国の経書の「伝」のように、著者独自の理解の仕方を披露する点で、たとえば、桐壺院は醍醐天皇に、朱雀院は朱雀天皇に、光源氏は西宮左大臣源高明に相当すると説いている。全体を通して、考証は精確詳細で、さらに今案として自説も多くあげている。『源氏物語』の注釈は、ここに一つの時代を画したと言える。本居宣長も『玉の小櫛』で「ちうさくは河海抄ぞ第一の物なる」と述べている。


『仙源抄』

[著者]
長慶天皇
[成立]
1381年
[内容]
『源氏物語』の語句約一千をいろは順に並べた辞書。これは『源氏物語』の「いろは」別辞典の最初であり、河内方両派の説、さらに後醍醐・後村上天皇の説等を批判統合するなど、その意義は大きい。


『珊瑚秘抄』

[著者]
四辻善成
[成立]
1397年
[内容]
『源氏物語』の注釈書『河海抄』の秘説書。『河海抄』で注を省略した秘説を三十三条集めたもの。


『花鳥余情』

[著者]
一条兼良
[成立]
1472年
[内容]
はじめに自序があり、『河海抄』(四辻善成)の足りない部分、誤っている部分を正しくするため著したことを述べている。また注釈の特徴としては、従来の諸注とは異なり、語句のみを採り上げるのではなく、長く文を引用して説明されている。また有職故実に関しても、著者自身、左大臣関白を勤めただけあって出色である。古注というものは、『河海抄』と『花鳥余情』の二書をもってほぼ完成されたと言っても良い。


『源語秘訣』

[著者]
一条兼良
[成立]
1477年
[内容]
『花鳥余情』の別注として、源語の秘訣を一五条(一説には一六・一七条)としてあげたもの。


『弄花抄』

[著者]
三条西実隆
[成立]
1504年
[内容]
はじめに「光源氏年次」として巻名・年立が記されている。それから「作者」「作意」「時代」「諸本不同」などとする項目に分けた部が付されているが、この方法は以後の注釈書の一つの型式として継承されていくようになる。『弄花抄』は『花鳥余情』『和秘抄』等の説が比較的多い。すなわち、一条兼良の説が多いため、文意や語義に関して力を入れた点が多い。この後彼は、『細流抄』の作成に向かい、やがて三条西家の源氏学を確立するに至る。


『細流抄』

[著者]
三条西実隆(三条西公条)
[成立]
1510年
[内容]
『河海抄』『花鳥余情』を訂正した部分がある。つまり、『花鳥余情』以後、文義の究明に向かった注釈傾向を顕著にしている。それゆえ、有職故実等はほとんど省略され、語義も簡単に注して、文義に通ずる様な方針を取っている。


『明星抄』

[著者]
三条西実枝
[成立]
1530年
[内容]
儒教による教戒観が見られるが、注釈は『細流抄』と基本的には変わらない。


『山下水』

[著者]
三条西実枝
[成立]
1570年頃
[内容]
三条西実枝が東国の流浪から帰京した後、宮中で『源氏物語』の講義を開始し、そのかたわら三条西家の説を中心に、自説も加えた諸注集成をはかろうとしていたらしい。それがこの書である。この書は、はじめに「作意」「大意」等を付し、以下巻別に巻名の由来、詳細な注記を展開する。


『岷江入楚』

[著者]
中院通勝
[成立]
1598年
[内容]
中院通勝が丹後に出奔した際、細川幽斎に出会い、要請を受けて記したもの。


江戸時代


『首書源氏物語』

[著者]
一竿斎
[成立]
1673年刊
[内容]
『河海抄』の序と料簡、『花鳥余情』の序と作意、『弄花抄』の年次と作意、『細流抄』の大意などを引用して、青表紙系本文全文に諸注を簡略に付し、傍注・頭注を施したもの。


『湖月抄』

[著者]
北村季吟
[成立]
1673年
[内容]
北村季吟は、箕形如庵に師事し、松永貞徳から桐壺巻の講義を受けたことが、この書を記した発端であることをまず凡例で述べている。そして内容は、『細流抄』『孟津抄』を基として、『河海抄』『花鳥余情』の要所を採用して、『弄花抄』『明星抄』を拾い、如庵説を加えつつ自説を取り入れて、初心者の助けになるように記してある。


『源語拾遺』

[著者]
契沖
[成立]
1698年
[内容]
第一巻の「大意」は二十六の項目から成り、『源氏物語』の総説とでも言うべきものである。この中では、儒教的な教戒説を退ける画期的な発言もあり、本居宣長の「もののあはれ」論に真っ直ぐつながるものである。また第二巻以下は『湖月抄』の誤り・不備を訂正することを目的として執筆されたものである。問題となる語句をあげ、旧注を引き、次に「今案」として自説を述べている。その全てに共通する注釈姿勢は、徹底した用例主義である。


『源氏物語新釈』

[著者]
賀茂真淵
[成立]
1758年
[内容]
「別記」は桐壺・箒木・空蝉巻の補足的な注釈で、「惣考」は作品・作意にわたる総説である。各巻の注釈では、契沖の『源語拾遺』の後を受けているが、『日本書紀』『万葉集』の豊富な用例にさかのぼりながら語釈を試みる点や、文脈全体に細心な注意を払っている点などに著者の独自性が見られる。


『源氏物語玉の小櫛』

[著者]
本居宣長
[成立]
1796年
[内容]
本居宣長が門人に『源氏物語』の講義をし、それを結集したものが本書である。全九巻で、一・二の巻は総論で、二の巻では「もののあはれ」とは何かから説き、物語の具体相を細かに論じ進め、物語のよしあしが儒教でいう善悪ではないことを論証して、勧善懲悪説や好色のいましめと解く考えの虚妄であることを主張している。それから三の巻は年立論、四の巻は本文の考勘、五の巻以下が各巻の注釈になっている。


『源氏物語評釈』

[著者]
萩原広道
[成立]
1861年
[内容]
桐壺から花の宴までで、注釈が八巻と語釈および余釈が各二巻ずつ、さらに首巻が二巻の計十四巻から成っている。特に本居宣長の「もののあはれ」論に賛成しながらも、安藤為章の『紫家七論』の諷喩説にも評価を与えている。しかしながら、内容は花の宴までで未完である。



参 考 文 献
・『日本古典文学辞典(簡略版)』 (岩波書店)
・『源氏物語事典(増補版)』 三谷栄一 (有精堂)
・『源氏物語研究』 島津久基・山岸徳平・池田亀鑑 (有精堂)
・『源氏物語ハンドブック』 鈴木日出男 (三省堂)
『』

[著者]

[成立]

[内容]