中古文学の名歌名場面


『古今和歌集』 仮名序2(進藤重之)
※引用は『新編日本古典文学全集』 (小学館)
 また、括弧内の片仮名はこちらでつけました。



『古今和歌集』 仮名序2

<本文>

 今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好み の家に埋れ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄(はなすすき)穂に出すべきことにもあらず なりにたり。
 その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。古へ世々の帝、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々 を召して、事につけつつ歌を奉らしめ給ふ。あるは花をそふとてたよりなき所にまどひ、あるは月を思ふとて しるべなき闇にたどれる心々を見たまひて、賢し愚かなりとしろしめしけむ。しかあるのみにあらず、さざれ 石にたとへ、筑波山にかけて君を願ひ、よろこび身に過ぎ、たのしび心に余り、富士の煙によそへて人を 恋ひ、松虫の音に友をしのび、高砂・住の江の松も相生のやうに覚え、男山の音を思ひ出でて、女郎花の ひとときをくねるにも、歌をいひてぞ慰めける。





<現代語訳>

 当節は世の中が華美に走り、人心が派手になってしまった結果、内容の乏しい歌、その場限りの歌ばかりが 現れるので、歌というものが好色者の間に姿を隠し、識者たちに認められぬことは埋れ木同然となり、まじめな 公式の場に表だって持ち出せないことは、すすきの穂にも劣る存在となってしまいました。しかし、歌の 起源を考えますと、こんな有様であってはならぬのであります。昔の代々の天子様は、花の咲いた春の朝、 月の美しい秋の夜ともなれば、いつもお付きの人々をお召しになり、何事かに関連させて、常に歌の詠出を お求めになりました。ある時は花に託して思いを述べるとて不案内の山野をさまよい、またある時は月を めでるために案内人のない知らぬ土地をまごつき歩いた人々の心中をご覧になって、彼らの賢愚を識別なさった のでありましょう。かようなときだけではありません。あるいはさざれ石にたとえて君の長寿を祝い、 あるいは筑波山の木陰に誓ってお恵みをお願いし、身分を越えた幸福や心に包みきれない歓喜を人に知って もらうとか、富士山の煙になぞらえて人を恋い、鈴虫の声を聞いて友の身の上に思いを馳せ、高砂・住江の 松までが長年の馴染として親しまれ、男山のように強かった壮年時代を思い出し、おみなえしのひととき の盛りをかこつ場合にも、歌を詠むことが唯一の慰めだったのであります。