近世文学の名歌名場面


『日本永代蔵』 巻四(五)(進藤重之)
※引用は『日本永代蔵』 暉峻康隆 (角川文庫)
 また、括弧内の片仮名はこちらでつけました。



<本文>

 或時夜更けて樋口屋の門をたゝきて、酢を買ひにくる人あり。中戸を奥へは幽(かすか)に聞こえける。 下男目を覚まし、何程がの、といふ。むつかしながら一文がの、と云ふ。空寝入りしてその後返事もせねば、 ぜひなく帰りぬ。夜明けて亭主は彼男よび付けて、何の用もなきに、門口三尺ほれと云ふ。御意に任せ、 久三郎諸肌ぬぎて鍬をとり、堅地に気をつくし、身汗水なしてやうやう堀りける。其深さ三尺といふ時、 銭があるはず、いまだ出ぬか、と云ふ。小石貝殻より外に何も見えませぬ、と申す。それ程にしても銭が 一文ない事よく心得て、かさねては一文商ひも大事にすべし。むかし連歌師の宗祇法師の此所にましまし、 歌道のはやりし時、貧しき木薬屋に好けつ人有りて、各々を招き、二階座敷にて興行せられしに、其あるじ の句前の時、胡椒を買ひにくる人有り。座中に断りを申して、一両掛けて三文請取り、心静かに一句を思案 して付けゝるを、去りとはやさしき心ざしと、宗祇の外に外にほめ給ふとなり。人はみな此ごとくの勤め 誠ぞかし。我そもそもは少しの物にて、一代にかく分限になる事、内証の手廻し一つなり。是を聞き覚えて まねなば悪しかるまじ。



<現代語訳>

 ある時夜ふけて樋口屋の門をたたき、酢を買いに来た人があった。その音が中戸をへだてて、奥へかすかに 聞こえた。下男が目を覚まして、「おいくらですか」というと、「めんどうながら一文ほど」という。下男 は空寝入りをして、その後は返事もしないので、客はしかたなく帰っていった。夜が明けると亭主は下男を よびつけて、なんの用もないのに、「門口を三尺掘れ」という。仰せにまかせて久三郎は諸肌脱いで鍬を 取り、堅地に精をつくし、汗だらけになってようよう掘った。その深さが三尺ばかりになった時、「銭がある はず、まだ出ぬか」と亭主がいうと、「小石・貝殻よりほかに何も見えませぬ」という。「それほど骨折っても、 銭が一文も手に入らぬ事をよく合点して、今後は一文商いも大事にしなさい。むかし連歌師の宗祇法師がこの 土地にお出でになって、歌道がはやっていた時、貧しい木薬屋で連歌をたしなむ人があって人を招待し、二階 座敷で興行せられたが、その主人が付句する番になった時、胡椒を買いに来た人があった。すると主人は 一座の人々にわけを話して座を立ち、一両(四匁)はかって三文の代金を受け取り、さて心静かに一句を思案 して付けたのを、さりとは優しい心がけだと、宗祇がことのほかほめられたそうだ。人は皆このように家業 を勤めるのが本当だ。わしもはじめはわずかな元手で、一代でかように分限になったのは、家計のやりくり 一つなのだ。これを聞き覚えてまねたら悪いことはなかろう。